
「伝わらない」から始める──人が集まる防災訓練の新しい作法
砂場にいる子どもを見て、ふと思ったこと
ある日、公園の砂場でひとりの子どもが夢中で遊んでいました。
山を作っては壊れ、トンネルを掘って水を流し、またやり直す。
大人が何かを教えたわけでもない。指示もルールもない。それでも真剣でした。
あの集中力と創意工夫は、私にとって「学び」の本質のように思えました。
防災訓練も、あんなふうに“自分から動きたくなるもの”にできたら、どれだけ多くの人が関わってくれるだろう──。そんなことを考えるようになりました。
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「また同じ顔ぶれ」から抜け出せないもどかしさ
これまで多くの自治体で防災担当者の方々と話してきました。
その中で、ほぼ共通して出てくるのがこんな悩みです。
- 訓練を開いても人が来ない
- 毎年同じメンバーだけが参加している
- 若い世代がまったく入ってこない
- 企画しても動員ばかり、心から関わってくれる人が少ない
「ちゃんと伝えているはずなのに、なぜ届かないのか」
「何のためにやっているんだろう」
そんな声を聞くたびに、私自身も胸が苦しくなります。
防災の“外側”にあるきっかけ
それでも私は、「伝わらない」ことを前提に設計を変えることができれば、流れは変わると信じています。
人が集まらないのは、防災を嫌っているからではない。
堅苦しい、難しそう、楽しくなさそう──そんな先入観の壁を崩せていないだけかもしれません。
だからこそ、防災そのものではなく、“防災以外”の動機で人を呼び込む工夫が必要です。
たとえば:
- 地域のお祭りに防災ブースを紛れ込ませる
- 親子向けの工作イベントに避難所づくりを組み込む
- 炊き出し体験を、地域の「食」の場として楽しめるように設計する
- サバイバル体験を絡めたアウトドアイベントにする
- スタンプラリー形式で「回ってみたくなる」仕掛けをつくる
「楽しいから来た」
「子どもが行きたいって言ったから」
そんな偶然が、「せっかくだから防災にも触れてみようかな」につながる。
そうした間口を広げることが、結果的に防災の裾野を広げる近道だと思っています。
楽しいだけじゃ終わらせない
もちろん、「楽しいだけ」では意味がありません。
体験の中に、命を守るための知識や判断力がきちんと残る設計が必要です。
たとえば:
- 消火器を使った的当てゲームの前後に、初期消火の重要性を共有する
- バケツリレーで、道具や配置の違いによる効果を体感してもらう
- 毛布担架を使った搬送体験をチームで競い合う中で、「すぐできる応急搬送」の方法を学ぶ
こうした“遊びながら学べる構造”は、子どもだけでなく大人にも有効です。
「なるほど、これは役立つかも」と思える瞬間が、学びを行動につなげるのだと感じます。
完成度より「巻き込みやすさ」
もうひとつ、大切にしたいのが「未完成さ」です。
すべてが整った完璧な訓練は、逆に“誰かが口を出す余地”を奪ってしまいます。
私は、不完全な訓練こそが、地域の人たちを巻き込む余白をつくると思っています。
- 中高生に“お手伝いスタッフ”として入ってもらう
- 大学生や地域の社会人に、企画段階から加わってもらう
- 裁縫が得意な方に救護セットの袋をつくってもらう
- 広報やイラストが得意な人にポスターづくりを頼む
役割があると、人は動きたくなります。
そして一度関わると、「次もやりたい」が生まれる。
防災訓練は“当日”だけではなく、その準備の過程こそが地域の力になると思っています。
伝わらない。それでも、届けたい
防災訓練が「伝わらない」と感じたとき。
それは、失敗ではなく、問い直すチャンスだと私は考えています。
楽しいことの中に学びを。
誰かのために考えられた設計に、巻き込みの余白を。
そして、一度だけで終わらない“続けられる訓練”を。
「自分が必要とされている」と感じられる場に、人は戻ってきます。
誰かの“関わりたい”を引き出せる場づくりに、これからも向き合っていきたいと思っています。
【追記:ツールや仕組みにできること】
たとえば、年齢層や立場ごとに内容を柔軟に変えられる進行シナリオや、ワークシートのようなツールがあれば、訓練の設計や進行の負担はぐっと軽くなります。
地域ごとの工夫を支える“土台”があれば、訓練はもっと自由になれる。
私はそう信じています。