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災害時、人は「ゆっくり考える」ことができるのか?

「落ち着いて行動してください」
地震や火災が発生したとき、よく耳にする言葉です。

確かに、災害時こそ落ち着いて状況を確認し、適切に判断することが重要です。
でも、ふと思うことがあります。
そもそも私たちは、突然の災害に直面したとき、本当に落ち着いて考えることができるのでしょうか。
避難所の開設を考えてみても、やることは一つではありません。

施設は安全なのか。
鍵はどこにあるのか。
避難者を中へ入れてよいのか。
どこを受付にするのか。
必要な資機材はどこにあるのか。
本部には何を報告するのか。

しかも、その横では住民から声をかけられ、電話が鳴り、別の職員から判断を求められるかもしれません。
そんな状況で、

「マニュアルをよく読んで、状況を整理して、適切に判断してください」

と言われたら。
平時ならできることでも、災害時には少し難しそうです。
今回は、人間の「考え方」の特徴から、防災の仕組みについて考えてみたいと思います。

人には「速い思考」と「遅い思考」がある

心理学や行動経済学には、人間の思考には異なるタイプの処理があると捉える「二重過程理論」と呼ばれる考え方があります。
一般によく知られているのが、システム1システム2という呼び方です。

システム1は、速く、自動的で、あまり努力を必要としない思考。
システム2は、注意を向け、順序立てて考える必要がある、比較的ゆっくりとした思考です。

たとえば、怒った顔を見て「この人は怒っている」と感じるのに、通常は難しい計算は必要ありません。一方で、「24×86はいくつか」と聞かれれば、多くの人は少し立ち止まって計算する必要があります。

前者がシステム1、後者がシステム2のイメージです。こうした考え方はStanovichとWestらの研究で整理され、その後、ダニエル・カーネマンの著書『ファスト&スロー』などによって広く知られるようになりました。

もちろん、頭の中に「システム1という装置」と「システム2という装置」が二つ並んでいるわけではありません。
後の研究では、System 1 / System 2という表現が二つの独立した脳内システムを想像させやすいことから、より慎重に「Type 1」「Type 2」という処理の違いとして整理する考え方も示されています。

ここでは分かりやすさを優先して、システム1・システム2という言葉を使って考えてみます。

避難所のマニュアルを読むのは、意外と大変

では、この考え方を避難所開設に当てはめてみます。
たとえば、避難所に到着した職員が、紙のマニュアルを渡されたとします。
そこには必要なことがすべて書かれている。
一見すると、それで問題なさそうです。

しかし、実際に行動するには、

マニュアルを開く。
該当するページを探す。
文章を読む。
今の状況と照らし合わせる。
必要な情報を覚えておく。
複数の条件を比較する。
次に何をするのか判断する。

という処理が必要になります。
つまり、「マニュアルに書いてある」ことと、「その場で迷わず行動できる」ことは、必ずしも同じではありません。

注意を向けながら複数の情報を保持し、比較し、判断するといった処理には一定の認知的な負荷がかかります。Kahnemanも、努力を要する処理には容量の限界があり、複数の努力を要する作業は互いに干渉し得ることを指摘しています。
しかも災害時には、その「考える仕事」だけを静かな場所で行えるとは限りません。

災害時ほど「よく考えて」と求めていないか

避難所には次々と人がやってきます。

「ここに入っていいですか」
「トイレは使えますか」
「家族とはぐれました」
「足の悪い人がいます」

そんな声を聞きながら、安全確認をし、設備を確認し、本部へ連絡し、次の作業を判断する。
場合によっては、自分自身も大きな地震を経験した直後です。

急性ストレスと認知機能に関する研究では、ストレスが作業記憶や認知的柔軟性など、一部の実行機能を低下させる傾向が報告されています。ただし影響には条件や個人差があり、「災害時には冷静に考えられなくなる」と単純に言えるものではありません。

それでも、防災の仕組みを考えるうえでは、一つ問いを持っておいてよいように思います。
私たちは災害時の人に、あまりにも多くの「考えること」を残していないでしょうか。

「落ち着いて」
「マニュアルを確認して」
「状況に応じて判断して」
「関係者と調整して」

もちろん、どれも必要なことです。
しかし、それをすべて現場の担当者の判断力に委ねることが、本当に最も安全な仕組みなのか。
そこは少し考えてみる余地があります。

「もっと考える」ではなく、「考える量を減らす」

では、どうすればよいのでしょうか。
一つの考え方は、
災害が起きてから頑張って考えるのではなく、平時にできるだけ考えておくこと
だと思います。

たとえば、

施設に到着したら、まず何を確認するのか。
安全確認が終わったら、次は何をするのか。
問題が見つかった場合は、どのように判断するのか。
誰に、何を報告するのか。

そうした行動の順番や判断の分岐を、平時のうちに整理しておく。
すると災害時の担当者は、ゼロからすべてを考える必要がなくなります。

「今、何をすべきなのか」を確認しながら、一つずつ行動していけばよい。
これは決して、人に考えさせないという意味ではありません。
むしろ逆です。

本当に判断が必要な場面に、人の注意力や判断力を使えるようにする。
そのために、仕組みに任せられる部分は仕組みに任せる。
そんな考え方です。

防災は、人間の「頑張り」を前提にしすぎない

以前の記事では、
「できる人」を配置することだけではなく、「誰でもできる状態」をつくることが重要ではないか
ということを書きました。

今回のシステム1・システム2の話は、その理由を人間の認知という側面から考えるものでもあります。
経験豊富な防災担当者であれば、多くのことを経験や訓練から素早く判断できるかもしれません。
実際、学習や経験によって、それまで注意や熟考が必要だった処理が、より自動的に行えるようになることもあります。

しかし、災害時に避難所へ集まるすべての人が、そうした経験を持っているわけではありません。

初めて避難所担当になる職員かもしれない。
地域の方かもしれない。
施設の職員かもしれない。

だから防災では、
「この人なら分かるだろう」
ではなく、
「初めての人でも、ここまでなら迷わず進められる」
というところまで仕組みをつくっておくことが大切なのではないでしょうか。

避難所DXは「考える負担」を減らすこともできる

ここで、避難所DXについても少し考えてみます。
DXというと、

紙をデジタル化する。
タブレットで情報を見る。
避難者情報をデータで管理する。

といったことが思い浮かびます。
もちろん、それも重要です。

ただ、紙のマニュアル100ページを、そのままタブレットの画面に表示しただけではどうでしょうか。
媒体はデジタルになっても、

「どこを読めばいいのか」
「今の状況では何をすればいいのか」

を考える仕事は、まだ人間側に残っています。

だとすれば、避難所DXにはもう一つの可能性があります。
情報をデジタル化するだけではなく、人が考えなければならない量そのものを減らすことです。

今やるべきことを提示する。
必要な情報だけを、その場で示す。
一つの作業が終わったら、次の作業へ導く。
判断が必要なら、判断材料を提示する。

そうすることで、現場の人が持っている限られた注意力を、本当に人が判断すべきことへ使えるようになります。

「情報を見るためのDX」から、
「人が動くためのDX」へ。

避難所DXには、そんな考え方もあるのではないでしょうか。

人に「落ち着いて」と求める前に

能美防災が提供する避難所開設・運営支援Webアプリ「N-HOPS」も、この考え方を大切にしています。

N-HOPSでは、既存の避難所運営マニュアルなどをもとに、現場で必要となる作業を整理し、避難所の開設・運営時に「次に何をするのか」を一つずつ確認できるようにしています。
目指しているのは、マニュアルを単にデジタル化することではありません。
経験豊富な人が頭の中で行っている、

「状況を確認する」
「必要な情報を探す」
「次の行動を考える」

という過程の一部を、仕組みとしてあらかじめ準備しておくことです。
災害時だからこそ、冷静な判断は重要です。
でも、
「災害時には落ち着いて考えてください」と人に求めるだけでなく、落ち着いて考えられなくても一定のところまで動ける仕組みを、平時につくっておく。
それもまた、防災なのではないでしょうか。

人は、いつでも理想的に判断できるわけではありません。
だからこそ、人間の特性を理解したうえで仕組みをつくる。

「誰でも動ける避難所」を考えるとき、システム1とシステム2という人間の思考の特徴は、一つのヒントを与えてくれるように思います。

淺野 智雄
淺野 智雄
能美防災株式会社 総合企画室 社内ベンチャーグループ長。防災士。 避難所開設・運営支援Webアプリ「N-HOPS」の企画・開発・展開を担当しています。 自治体職員や地域の関係者へのヒアリング、避難所訓練への参加などを通じて、実際の運用現場で生じる課題や迷いを捉え、「誰でも動ける避難所運営」を実現する仕組みづくりに取り組んでいます。 品質管理、中長期ビジョン策定、新規事業開発などの業務を経験。現場で起きている小さな課題や工夫を手がかりに、防災を「実際に機能する仕組み」にするための視点を発信しています。 趣味は料理・読書・筋トレ。朝の運動が日課です。